牧野武文『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男』(角川書店)■ ゲームファン必読の横井軍平伝 花札やトランプを製造していた京都の老舗企業・任天堂を、世界的な大企業に押し上げた立役者、それが今は亡き横井軍平氏である。「ウルトラハンド」、「ウルトラマシン」、「ラブテスター」、「光線銃」などの一連のヒット玩具を開発し、世界初の携帯型液晶ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」、そして「ゲームボーイ」を世に送り出したゲーム界の偉人、神様だ。
玩具の任天堂とゲームの任天堂の橋渡しをした人物(本文4ページ)という表現は実に言い得て妙である。彼がいなかったら、任天堂の奇跡的な急成長は難しかったと思う。なぜなら、ゲーム&ウオッチで稼いだ潤沢な資金を基にして、あのファミコンが開発されたのだから。
本書は96年に刊行された
『横井軍平ゲーム館』を底本にしている。これに新たな取材の成果を加え、今回『ゲームの父・横井軍平伝』としてリニューアルされた。内容はインターネットで見聞きしたことがある逸話が多かった。逆に言えば、それらの書き込みは『横井軍平ゲーム館』からの引用である。ゲームクリエイター、任天堂ファンはもとより、ゲームが好きだという人なら、一度は本書又は『横井軍平ゲーム館』を読んでみて欲しい。
左手に障害がある子供のために、ゲームボーイの十字キーと押しボタンの配置を逆にして届けた「神対応」の話も収録してある。
任天堂が商品開発の礎としている発想哲学「枯れた技術の水平思考」は、横井氏が考え出した。古くなって安くなった技術を、発想ひとつで売れる商品に変える、「コロンブスの卵」的な手法である。他メーカーにしてみれば、まるで魔法のような考え方だろう。だが、実際にニンテンドーDSやWiiの成功を見ると、眉唾物とは思えない。WiiはPS3やXbox360よりも性能が劣っているのにもかかわらず、現時点で最も売れたハードである。
もう一つ、横井氏が重視したのは、「遊び」とは独りでやるものではなく、何人かの友人と集まってやるものだ、という考え方(本文155ページ)。数多くのゲームソフトをプロデュースしている横井氏であるが、子供が単独で黙々とTVゲームをプレイするのはあまり良いことではないと思っていたようだ。このくだりを読むと、横井氏は「ゲームの人」ではなく「玩具の人」であったことを痛感する。
明確な用途無しに、何となくゲームボーイに「通信ポート」を付けたのも、その気持ちの表れだったのかもしれない。通信ポートを利用した『ポケットモンスター』は、人と人とが対面でプレイする代表的なゲームだ。
横井氏の経歴は成功に満ちあふれている。しかし、決して失敗や挫折がなかったわけではない。任天堂の起爆剤となったファミコンは、彼が直接開発した商品ではない。コントローラの十字キーは横井氏が考案したものだが、本体の開発はシャープから移籍してきた上村雅之氏率いる開発二部が担当した(横井氏の所属は開発一部)。また、ゲームソフト開発に関しては、部下であった宮本茂氏が頭角を現して来る。
天才横井氏といえど人間である。任天堂を支える花形クリエイターから、数多くいる優秀な開発者の1人へと会社での立場が微妙に変化していった時期、焦りや戸惑いがあったはずだ。捲土重来とばかりに開発していた初期のゲームボーイには、液晶の視野角に致命的な欠陥があった。このとき横井氏は食事がのどを通らなくなり、自殺を考えたという。
横井氏が96年に任天堂を退社した理由は、長年のプレッシャーから解放されて、自分の好きな玩具を再び作りたかったからだろう。3Dゲーム機「バーチャルボーイ」の失敗の責任を取ったという噂は、本書を読むとデタラメであることがよく分かる。
退社した同じ年に株式会社コトを設立し、夢を実現しようとした矢先、横井氏は不慮の交通事故でこの世を去る。享年56歳。ゲーム界は大きな財産を失った。