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世界はなぜ「ある」のか?

表紙

ジム・ホルト『世界はなぜ「ある」のか? 「究極のなぜ?」を追う哲学の旅』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

■ 人類は「存在」の謎を解けるのか?
 17世紀末、ライプニッツによって定式化された哲学上の難問――「なぜ世界は存在するのか?」は、のちの時代の哲学者たちを悩まし続けてきた。ある者は「神」が根本原因だと説き、ある者は人間の理性が答えられる問題ではないから議論しても無駄だと考え、またある者は問いそのものが「無意味」だと一蹴する。この難問について明確に答えられた人間は、今までに一人もいない。

 私たちが住む地球には様々な物質があり、私たちの太陽系がある天の川銀河には1000億から2000億個の恒星があり、観測可能な宇宙には同じような銀河が2兆個もあるという。「なぜこのような宇宙が存在しているのだろうか?」と生まれてから一度も疑問に思わない人間はいないだろう。
 最もシンプルな常態は「何もない」、つまり「無」であるはずだ。しかしこの世界はそれに反して、銀河や恒星や人類が存在し得るように、まるで神がかり的な物理定数を持った宇宙として存在している。「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」――哲学者であり作家のジム・ホルトは、本書でこの究極の問いに挑んでいる。

 ホルト氏は本書を執筆するために、数多くの知識人にインタビューを行っている。哲学者のアドルフ・グリュンバウム、リチャード・スウィンバーン、ジョン・レスリー、デレク・パーフィット、物理学者のデイヴィッド・ドイッチュ、スティーブン・ワインバーグ、ロジャー・ペンローズ、作家のジョン・アップダイクと実に豪華な顔ぶれだ。
 彼らと対話を重ねながら、ホルト氏は「手紙による幕間 証明」のなかで、世界が存在している理由を、「論理的」に導き出す。「論理的」とは一体どういう意味なのか、それは実際に本書を読んで確かめて欲しい。おそらくホルト氏本人はこの答えに満足してはいないのではないか、と感じた。

 癌になった飼い犬を安楽死させたエピソードが途中で挿入され、最後の章で同じく癌になった母親を看取ったエピソードが語られる。多くの人がそうであるように、存在の謎を考えるきっかけとなるのは、身近な者の死である。
 私の祖父や祖母はもう亡くなってしまったが、世界は祖父や祖母が生きていたときと同じように存在している。それならば私が死んだとしても、世界は同じように存在しているに違いない。できることなら世界の実在性を外部から確認してみたいものである。

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マーチ博士の四人の息子

表紙

ブリジット・オベール『マーチ博士の四人の息子』(ハヤカワ文庫)

■ トリッキーなフランス・ミステリ
 重版出来されていた本書を書店で見かけたのでレビュー。物語の舞台は、アメリカの田舎町にあるマーチ医師の屋敷。その屋敷にはマーチ夫妻とその4人の息子、そして住み込みのメイドとして雇われたジニーが暮らしていた。
 ある日、ジニーは屋敷の中で「殺人者の日記」なるものを偶然発見する。その日記を書いた人物は、4人の息子のうちの誰かであるようだが、愚鈍なジニーは人物を特定できない。殺人者はジニーが日記を盗み読んでいることに気づき、彼女を精神的に追い詰める。

 本作は「殺人者の日記」と「ジニーの日記」が交互に並んだ構造になっている。「殺人者の日記」を読んだジニーの反応、「殺人者の日記」を読まれた殺人者の反応が積み重なり、驚愕のラストに行き着く。「4人全員の共犯」であるとか、「父親のマーチ博士の犯行」であるとか、読者がパッと思いつきそうなオチを超える、斜め上の結末が待っている。設定に不自然なところも感じるが、いいじゃないか、おフランス製のミステリだもの。

 本書の帯には「表紙からすでに仕組まれたトリック。見破れますか?」との宣伝文句がある。結末を読んだ後で表紙のイラストをじっと見てみると……トリック……トリックねぇ、意味がよく分からない。私にとっては、この文章の方が謎であった。

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真田三代

表紙表紙

火坂雅志『真田三代 上』(文春文庫)
火坂雅志『真田三代 下』(文春文庫)

■ 戦国の世を生き抜いた真田一族
 武田二十四将の一人に数えられる真田幸隆、武田信玄の奥近習衆に加わり武将としての資質を磨いた真田昌幸、そして大坂夏の陣で華々しく散った真田幸村。本書は戦国武将として名高い真田家の男たちの生涯を綴った歴史小説である。
 昌幸は幸隆の三男だったが、兄の信綱と昌輝が長篠の戦いで戦死したために家督を相続した。政治情勢を見極めたうえで次々と主君を変える昌幸の生き様と、昌幸を支えた息子の信之(信幸)と幸村(信繁)の活躍に酔いしれることができる。

 上下巻二冊とページ数的に読みやすい作品ではあるが、コンパクトにまとめたせいで関ヶ原の戦いから大坂の陣のくだりが極度に圧縮されている。明らかに分量不足である。文庫三冊分のページ数があれば、終盤をもっと濃密に書けたのではないか。
 池波正太郎の畢生の大作『真田太平記』と比較するのは酷かもしれないが、史実を追うことに精一杯で創作部分の人間ドラマが弱いように感じた。真田十勇士は登場するが、取って付けたような印象。いっそのこと、こうした架空の存在である忍者は出さないで、『真田太平記』との違いを鮮明にするという手法もあったと思う。

 幸村は大坂の陣で突如としてスポットライトを浴びた武将であり、それ以前の歴史的資料はほとんど存在しない。それゆえに作者独自の創作が物を言う人物である。本作では上杉家の重鎮・直江兼続との友情が描かれているが、本当にこんな出来事があったなら、直江は聖人に違いない。

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神様ゲーム

表紙

麻耶雄嵩『神様ゲーム』(講談社文庫)

■ 真実(神の言葉)と推理(人間の思考)のズレ
 子供向けのミステリーシリーズ「講談社ミステリーランド」の一冊として刊行された中編推理小説。だが、子供向けの本とは思えないようなえぐい内容と後味の悪さで話題になった本格ミステリーである。

 少年探偵団に所属する芳雄とその仲間たちは、本部として使っていた「鬼婆屋敷」で、芳雄の親友である英樹の死体を発見する。転校生の鈴木は自分を全知全能の「神様」だといい、芳雄の願いを聞き入れ、英樹殺しの犯人に天誅を下すのだ。しかし事件の裏にはもう一人の共犯者がいた・・・・・・。

 この「鈴木=神様」というキャラクターは、麻耶氏が創造した銘探偵メルカトル鮎を先鋭化したような人物である。神様はすべての真実を知っている。彼の言うことは100%正しい。神は絶対だからね。メルカトル鮎が「無謬である」のと同じように、神様は間違えることはない。要するに、探偵役に対する信頼を筆者が完全に保証しているのである。

 ところが、神様は事件の断片しか語らない。神様は共犯者の存在は認めるが、それが誰なのかまでは教えてくれないのだ。事件の全貌を改めて推理した芳雄は、共犯者Aが屋敷の物置に隠れていた疑いを強くする。読者も当然そう考える。
 神様の鈴木は絶対者であり決して嘘は言わない――その設定を逆手に取り、読者を翻弄する超絶技巧のテクニック! あなたは物語の結末を受け入れることができるだろうか?

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荒木飛呂彦の漫画術

表紙

荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』(集英社新書)

■ これが荒木漫画の真髄を伝える「黄金長方形」だッ!!
 『ジョジョの奇妙な冒険』の作者である荒木飛呂彦先生が、漫画の描き方を手取り足取り教えてくれるハウツー本。荒木先生が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ「キャラクター」、「ストーリー」、「世界観」、「テーマ」の四つのポイントと、それらを統括する「絵」について解説している。

 主に漫画家志望の人たちに向けて書かれた本だと思うが、「ここまでクリエイターの手の内を晒していいのだろうか?」と心配になるほど事細かな内容である。並ラーメンを注文したら、厚切りチャーシューとワンタンとコーンと半熟卵がついてきた、みたいなサービスの良さは一体なんだろう。巻頭の目次を見ただけで、この本には“非常に重要なこと”が書かれていると直感した。「さすが荒木先生! 秘伝中の秘伝を惜しげもなく披露してくれるッ! そこにシビれる!あこがれるゥ!」

 『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズでは、主人公とその仲間たちは、幾度となく生死の境目に立たされる。もうどうにもならない危機的な状況を、勇気・知恵・機転・策略などを駆使して切り抜けていく。どんなピンチになっても主人公は決して諦めない、それが荒木漫画の魅力である。

 ストーリー作りにおいて、「起承転結」と「主人公は常にプラス」は二大鉄則であるという。「起承転結」のバリエーションで「起承転転転転結」という構成にした場合でも、「転」の中で主人公は常に「上がって」いかなければならない。
 『ジョジョ』第一部の序盤、主人公のジョナサンはライバルのディオから様々な嫌がらせを受ける。この時点で読者の人気が落ちたのを、荒木先生は肌で感じていた。ストーリーの都合上仕方がないとはいえ、主人公がやられっぱなしだと読者は不快に思うのだ。
 映画『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』に登場するヒット・ガールを例に挙げ、幸せな状態から一度下がって上がるパターンも良くないと指摘する。

 本書を読んでいて特に驚いたことは、『ジョジョ』第四部のラスト、宿敵・吉良吉影との戦いを、キャラクターと一緒になって悪戦苦闘し、絶体絶命のピンチから脱出したという話だ。つまりどのような形で吉良との決着をつけるのか、あらかじめ考えていたわけではないらしい。
 第三の爆弾「バイツァ・ダスト」の能力に目覚めた吉良は、時間をも超越する無敵の存在になる。作者自身も分からない吉良の倒し方を、不撓不屈の精神を持ったキャラクターの力を借りて発見する。まさに「奇跡のサクセスストーリー」ではないか。

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刑事コロンボ完全捜査記録

表紙

町田暁雄『増補改訂版 刑事コロンボ完全捜査記録』(宝島社文庫)

■ 『刑事コロンボ』全69エピソード完全解析!
 コロンボ警部は「ずる賢い妖精」である、と評したのは、シリーズ第1話『殺人処方箋』の犯人、レイ・フレミング医師である。コロンボ警部には不思議な超能力があるようで、真犯人の顔を見るとピンと来るらしい。あとはその人物をしつこくつけ回し、ボロを出すのを待つだけである。
 犯人と会話をする際、コロンボ警部はしばしば自分の親戚の話題を口にするが、実際にそんな親戚がいるのか極めて怪しい。そもそもコロンボ警部のファーストネームすら定かではない。彼はトリックスターであり、普通の人間ではないのである。

 本書は、名優ピーター・フォークがこの世を去った後に出版された『刑事コロンボ』シリーズの完全攻略本である。旧シリーズ45本、新シリーズ24本、計69本のあらすじと見どころを丹念に解説している。ユニークなイラスト満載で、ページを眺めているだけで楽しい作りになっている。
 第6話『二枚のドガの絵』、第15話『溶ける糸』、第19話『別れのワイン』など、名作揃いの『刑事コロンボ』シリーズであるが、私は特に第25話『権力の墓穴』を推したい。コロンボ警部と上司のロス市警本部次長マーク・ハルプリンの対決は手に汗握るし、コロンボがハルプリンに仕掛けるラストの逆トリックは鮮やかすぎる。

 今回は文庫版を紹介したが、もし書店に置いてあるなら、B5判の別冊宝島版が見やすくてオススメである。

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「知」の欺瞞

表紙

アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波現代文庫)

■ ポストモダニズムにおける科学用語の濫用
 物理学者のアラン・ソーカルとジャン・ブリクモンが、ポストモダニストの言説には科学用語の濫用・誤用が多々あることを批判した啓蒙書。ジャック・ラカン、ジュリア・クリステヴァ、ジャン・ボードリヤール、ジル・ドゥルーズといったフランスの著名な思想家たちをぶった斬りしている。

 本書は1994年に起きた「ソーカル事件」をきっかけにして書かれた。ソーカルが数学や物理学の専門用語を織り交ぜた、それでいて全く無意味な哲学論文『境界を侵犯すること――量子重力の変形解釈学に向けて』を悪戯で評論雑誌に投稿したところ、その似非論文が精査されずに採用されてしまったのだ。
 ソーカル事件は、結果として人々に「ポストモダン思想は知的詐欺ではないか?」と疑問を抱かせたため、ポストモダニスト及びその周辺にいる評論家たちに大きな打撃を与えた。ラカンたちの言説がナンセンスであるなら(もちろん文章すべてがナンセンスというわけではないが)、ラカンたちの言説を引用して権威付けしている評論家はピエロになってしまう。
 彼らがソーカルの告発に対して正当な弁明ができない時点で、ポストモダン思想の価値は「推して知るべし」なのかもしれない。ミシェル・フーコーやロラン・バルトの文章を俎上に載せていないのは、比較的マトモであるということなのだろうか?

 巻末には付録として似非論文『境界を侵犯すること』の訳文が掲載されている。ポストモダンのパロディとしては非常に出来が良い。筒井康隆氏の『文学部唯野教授』に出てきそうで何だか笑ってしまった。

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荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論

表紙

荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』(集英社新書)

■ かわいい子にはホラー映画を見せよ
 人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』で有名な荒木飛呂彦先生が上梓したホラー映画ガイドブック。映画論の第2弾『荒木飛呂彦の超偏愛! 映画の掟』とともに、優れた漫画を生み出す秘密はどこにあるのかと興味深く読んでみた。
 巻頭には「荒木飛呂彦が選ぶホラー映画 Best20」のランキング表が掲載されている。荒木先生イチオシのホラー映画作品は何か、気になる人はぜひ本書を手にとって確認して欲しい。

 本書で取り上げるホラー映画とは、残虐描写が激しいいわゆる「スプラッターもの」だけではなく、心理描写に重点を置いた「サスペンスもの」も含まれている。どんな形であれ観客を怖がらせる要素がある映画を、本書ではホラー映画と見なしている。
 ホラー映画は恐いし、気持ち悪くなるから観ないという人は多いだろう。ホラー映画のDVDを自らレンタルして観る人の心理としては、非日常的な体験をして刺激を得たいという欲求があるのだと思う。ホラー映画は現実世界の安堵感を味わうため、または現実世界の苦しみを和らげるためにあるのだと考えれば、その意味合いも変わってくるのではないだろうか。

 荒木先生の熱い語り口に釣られて、紹介されていた作品の中からまだ観たことがなかったホラー映画を2本、ゲオでレンタルしてみた。う~ん、どちらもイマイチ(笑)。漫画の『ジョジョ』の方がはるかに面白いですよ、先生。

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快楽としてのミステリー

表紙

丸谷才一『快楽としてのミステリー』(ちくま文庫)

■ 探偵小説の楽しみ方を教えてくれる粋な読書案内
 昨年亡くなられた作家の丸谷才一氏によるミステリー評論集。『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』に連載されたエッセイをまとめた名著『深夜の散歩』(福永武彦氏・中村真一郎氏との共著)ほか、ミステリー小説に関する書評を収録している。博識な丸谷氏の自由闊達な文章を楽しむことができる。

 話題があらぬ方向に飛ぶこともあるが、そこは丸谷氏の計算の内である。姿勢を崩して酒を呑んでいた男が、おもむろに立ち上がって着物の帯を締めるように、きゅっと文章を閉じる技法はお見事というしかない。小説家、批評家、書評家など様々な顔を持つ丸谷氏に対しては、なによりも名文家という肩書きが相応しいと思う。

 「新語ぎらひ」という題名のエッセイでは、detective storyの訳語は、「推理小説」ではなく「探偵小説」とするのが正しいという面白い主張をしている。筆者の美的感覚からすれば、古風に聞こえる探偵小説という表現こそ高級な小説を指すようだ。歴史的仮名遣いで文章を綴ることをモットーとしている丸谷氏ならではのこだわりである。

 また、「探偵小説の諸問題」では、ジェフリー・アーチャーの『百万ドルをとり返せ!』を十年前に読んだにもかかわらず、読んだことを忘れて再び購入した失敗談を披露してくれる。読者を笑わせるための嘘かも知れないが、私は丸谷氏でも人間くさいミスをするのかと何だか安心したのである。

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奇面館の殺人

表紙

綾辻行人『奇面館の殺人』(講談社ノベルス)

■ 奇怪な仮面とドッペルゲンガー
 綾辻氏の「館」シリーズの第9作目。小作品であった前作『びっくり館の殺人』と比較すると、分量にして約2倍の長さがある本格物である。登場人物が仮面を付けるという設定から、シリーズ第2作目の『水車館の殺人』を思い浮かべた。だが、当然ながら同じトリックは使われていない。
 「館」シリーズには「叙述トリック」を絡めている作品が多く、そのせいで『十角館の殺人』や『迷路館の殺人』などは映像化できない。本作品はどうかというと、ネタバレになるので詳しいことは書けないが、一応映像化は可能である、としておこう。

 奇怪な仮面を集めた屋敷、それも大雪で脱出不可能な屋敷での殺人事件と聞くと、おどろおどろしい描写を想像するだろう。しかし『奇面館の殺人』では、殺人が一件しか発生せず、種明かしの部分も割と淡泊な印象を受けた。
 私は本格推理小説が好きで、特に屋敷の見取図が付いていたりするとそれだけで採点が甘くなる。個人的には『水車館の殺人』よりも出来が良いと感じたが、読み手によっては刺激が少ないと感じるかもしれない。

 全部で十作品と宣言している「館」シリーズも、残りあと一作品となった。最後の作品がどのようなものになるのか、ラストを飾るのに相応しい『霧越邸殺人事件』のような重厚長大な作品になるのか、まったく想像できない。本作品が「ホップ・ステップ・ジャンプ」のステップの役割であって欲しいと願うばかりである。

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ども、ブログ管理人のうどん太郎です。
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