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乱歩ワールド大全

表紙

野村宏平『乱歩ワールド大全』(洋泉社)

■ 江戸川乱歩のディープな世界へようこそ
 江戸川乱歩全作品を舐め尽くすように解析し、作品に登場したキャラクターや作品で使われたトリックをまとめ上げた乱歩研究本の決定版! 昨年発売された『江戸川乱歩の迷宮世界』(洋泉社MOOK)では、全作品のあらすじを載せて解説していたが、本作はさらに乱歩ワールドに分け入ったマニア向けの内容になっている。

 乱歩は本格推理小説から幻想怪奇小説、子供向けの探偵小説シリーズまで様々な種類の作品を遺している。その中でも特に初期に書かれた短編小説が際立った出来映えである。
 新潮文庫の『江戸川乱歩傑作選』に収録されている作品(『二銭銅貨』、『D坂の殺人事件』、『心理試験』、『屋根裏の散歩者』など)は、掛け値なしに傑作・名作だらけである。今読んでも抜群に面白い。

 しかし、中編・長編小説になると――私個人の感想だが――人に勧められる作品は少ない。『陰獣』や『孤島の鬼』が乱歩の代表作になるのだろうが、短編小説に比べると出来が良くない。残り少ない歯磨き粉のチューブを絞り出すように、無理をして書いているのがヒシヒシと伝わってくる。何よりも今読むと古臭さが否めない。乱歩の筆は短編で生き、長編で死んでいるのである。

 乱歩は『探偵小説四十年』の中で、あらかじめプロットを構築して書くという作業が苦手であったことを吐露している。長編小説を細部が固まらないうちに書き始めてしまい、破綻してしまうことが多かったようだ。雑誌『新青年』で連載していた『悪霊』も、休載を繰り返したあげく、結局未完のまま終わった。このとき乱歩は、編集者をしていた横溝正史からこっぴどく叱られている。

 プロットを決めていない状態で長編ミステリーの連載を開始して、終了時にはきちんと一つの作品として完成している――そんな都合の良い話があるはずがない。だが、『天河伝説殺人事件』で有名な内田康夫氏は、それが出来る“変態”であるという。世の中は広いものである。

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キングを探せ

表紙

法月綸太郎『キングを探せ』 (講談社)

■ トランプのカードに法月も読者も騙される
 4人による交換殺人をモチーフにした本格推理小説。交換殺人は実例がほとんどないことからも分かるように、実際には極めて成立しにくい犯罪である。互いに知らない者同士が、互いのアリバイを作るために殺人を引き受けるなど狂気の沙汰である。
 2人でもまず失敗するというのに、4人で計画を立てるなんて非現実的すぎる・・・・・・、まあ、リアリティの問題はひとまず措いておこう。ターゲットを決めるときに使ったトランプのカードを、犯人たちが後生大事に保存しておくなんて変じゃないか・・・・・・、まあ、そんな些細な瑕瑾も気にならないほどプロットが良くできている。

 『キングを探せ』は、犯人が証拠品を偽造していた場合、探偵はそれをどうやって見破ることができるのか、という「後期クイーン的問題」をテーマにしている。「俺たちの中に“キング”がいる」と警察(法月)が勘違いしていることを知った犯人グループは、警察(法月)の見立てに沿った偽装工作を行う。探偵の法月と犯人グループの騙し合いが楽しい作品である。長年「後期クイーン的問題」に取り組んできた作者の解答のひとつと言えるかもしれない。

 倒叙形式が「後期クイーン的問題」を回避する手段となり得るかについては、いろいろと異なる意見があると思う。読者は作者の“神の視点”による記述によって犯人の行動を知ることができるが、作中の探偵役はそうではないからである。
 本書は物語の序盤で犯人グループの行動を描いている。ただし、すべての事情を明かしているわけではなく、『刑事コロンボ』シリーズの第37話『さらば提督』と同じ「半倒叙もの」である。つまり終盤にどんでん返しを用意しているのである。
 法月氏は「探偵の推理の正当性」と「結末の意外性」の両取りを本書で試みたが、二つを同時に達成することはできなかったのではないだろうか。

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日本推理小説論争史

表紙

郷原宏『日本推理小説論争史』(双葉社)

■ すべての論争は推理小説に通ず。
 推理小説には名探偵が必要であるのか? 推理小説は芸術作品であるべきなのか? 日本推理小説界の父である江戸川乱歩が、大正12年に『二銭銅貨』で文壇にデビューして以来、推理小説(探偵小説)にまつわる数々の論争が巻き起こってきた。本書はそれらの論争の時代背景と経緯をまとめた評論集である。
 甲賀三郎と木々高太郎が、推理小説の芸術性に対して意見を戦わせた高尚な論争から、笠井潔が匿名座談会のメンバーに対して噛みついたやや低俗な論争まで、論争の水準にはバラツキがあるが、ミステリーファンにとっては興味深い一冊であろう。

 九つの章が年代順に並んでいない点については、初めは疑問を持ったが、これは読者に親しみがある最近の話題を冒頭に持ってくると同時に、論争の歴史を遡っていくという構成を意図したものらしい。

 推理小説を好む読者にとって、独創的なトリックが書かれているほうが良いことは当然である。しかし、そのトリックによってリアリティがなくなったり、犯人の行動が不自然になるのは論外である。
 トリックや奇想を重視すると、人間が書けていないと批判される。かといって、松本清張のように社会的テーマを前面に押し出したり、レイモンド・チャンドラーのようにハードボイルド色を強くすると、今度は本格派には物足りなくなる。

 乱歩や木々は、高い文学性を持った推理小説を創作する上で、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を手本とすべきと考えていたようだ。確かにこの世界屈指の文学作品は、「父親のフョードルを殺したのは誰か?」という謎をストーリーの終盤まで引っ張ることで、推理小説的な魅力をたっぷりと醸し出していた。
 裾野が広い推理小説の世界を、一義的にこうあるべきだと決めつけるのは無理がある。だが、推理小説を純文学の地位にまで高めようと奮闘した先人たちがいたことを、記憶に留めておきたいと思う。

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アガサ・クリスティー完全攻略

表紙

霜月蒼 『アガサ・クリスティー完全攻略』(講談社)

■ アガサ・クリスティーの華麗なる作品群
 本格ミステリーファンを自負するなら、アガサ・クリスティー、エラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カー(いわゆるビッグ3)の主要作品は、必ず読んでいなければならないだろう。この三人(エラリー・クイーンは二人の共作なので、正確には四人か)が開拓したミステリーの平野は計り知れないくらい大きい。クリスティーたちの功績によって、トリックの枯渇(→ハードボイルド小説の勃興)を招いてしまったほどだ。少なくとも、「東西ミステリーベスト100」にランクインしている名作は、一般教養として内容を知っておくべきではないだろうか。

 本書は、ミステリーの女王として名高いアガサ・クリスティーの全99作品を紹介した評論集である。各作品にはオススメ度を表した星印(五つ星が満点)が付いている。星3つ以上は「読んで損なし」という評価である。霜月氏は全99作品中80作品が星3つ以上であると判断している。打率はなんと8割超!
 クリスティーのように数多くの作品を残していて、駄作が極端に少ないのは驚異というしかない。イチローもビックリのハイ・アベレージである。あまり有名ではない作品も、読んでみたら意外と面白かったと感じることが多いのだ。

 クリスティーはカーのような「トリックメーカー」ではなく、意外な人間関係によってプロットを構築する手法を得意としていた。代表作の『ナイルに死す』や『白昼の悪魔』は、クリスティーの魅力を存分に楽しめる作品である。
 霜月氏は『五匹の子豚』や『終りなき夜に生れつく』など、クリスティーの“語りの上手さ”が際立った作品を推している。もし未読であるならば、一度読んでみるしかない。

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芥川賞物語

表紙

川口則弘『芥川賞物語』(バジリコ)

■ 派手な受賞は叩かれる。地味な受賞は嘆かれる。
 純文学作家の登竜門であり、日本で最も有名な文学賞である「芥川賞」。本書は第一回から第一四七回までの選考過程を綴ったノンフィクションである。先月に記念すべき第一五〇回の受賞作が発表されたことは記憶に新しい。作者の川口氏は今年になって姉妹編の『直木賞物語』も刊行している。
 私の理解が正しければ、芥川賞は純文学系の新人作家に贈られる賞であり、同時期に授与される直木賞はエンタメ系の作家に贈られる功労賞のようなものだろうか。近年ではその区分が必ずしも明瞭ではないという指摘もあるようだが。

 芥川賞といえば、かの太宰治が賞金欲しさに選考委員に対して受賞を懇願するなどいささか見苦しい行動を取ったエピソードを知っている。芥川賞はマスコミの注目度が高く、取れば一躍有名作家の仲間入りができるため、作家志望の人たちにとっては喉に刺さった魚の小骨のように存在が気になるようだ。
 私は受賞作については数冊程度しか読んでおらず、作品の善し悪しや作家の技量は正直判らないのだが、各回の関係者の悲喜こもごもが描かれていて、「文芸カタログ」として楽しく読むことができた。

 芥川龍之介自身が長編小説を書けない小説家であったように、受賞作家が後に優れた長編小説を発表することが少ないのは、ある意味理屈に合っている・・・・・・と言えるのかもしれない。

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ガラスの街

表紙

ポール・オースター『ガラスの街』(新潮社)

■ ニューヨーク三部作の始まり
 小説家ポール・オースターの処女作であり、おそらく現時点での彼の最高傑作である『City of Glass』の新訳書。すでに新潮文庫版も刊行されている。角川文庫の旧訳(題名『シティ・オヴ・グラス』)の出来が悪いというわけではないが、やはりオースター×柴田コンビの安定感はいい。

 ミステリー作家であるクインにかかってきた一本の間違い電話。探偵ポール・オースターになりすましたクインは予想もしない奇妙な事件に巻き込まれ、やがてニューヨークの街に消えていく・・・・・・。一人の人間として確固とした形を持っていた主人公の心と体が、まさにガラスのように薄く透明になっていく描写は圧巻である。
 探偵小説の体裁をとりながら探偵小説としての条件を満たしていないという理由で、いくつもの出版社から出版を拒否されたというから面白い。ミステリーの女王アガサ・クリスティの第1作『スタイルズ荘の怪事件』も、出版社に認められて本になるまで時間がかかっている。新人作家の将来性を見抜く難しさをあらわした逸話である。

 この小説にはちょっとした“仕掛け”があって、三人称形式で書かれているように見える文章は、実はクインの友人である「私」がクインの手記をもとに語っていた、というラストのオチがある。三人称視点と思わせて実は一人称視点という叙述トリック(一人称視点の人物の存在を読者に隠している)は、クリストファー・プリーストや東野圭吾がその作品で用いている(ネタバレになるので具体的な書名を明記するのは控えておこう)。
 人知れず街に溶けていった主人公の存在を知り、そのことを他者に伝える人間がいることに、何か救いを感じるのは私だけだろうか。

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エラリー・クイーン論

表紙

飯城勇三『エラリー・クイーン論』(論創社)

■ エラリー・クイーンをめぐる冒険
 本書は、筆者がエラリー・クイーン・ファンクラブ(EQFC)の会誌「Queendom」に寄稿したクイーン考察をまとめたものである。

 第一部《女王の戴冠 エラリー・クイーン論》では、クイーンが用いた様々な手法を俎上に載せ、彼らが推理小説で描こうとしたものが〈意外な真相〉ではなく、〈意外な推理〉であったことを確認する。

 第二部《女王の棺 『ギリシア棺の謎』論》では、「作者VS読者」という構図の読み物だった推理小説の世界に、「探偵VS犯人」という新たな構図を取り入れた、史上初のメタミステリー『ギリシア棺の謎』(国名シリーズ第4作目)を論じる。
 もし小説内で探偵が得る情報に間違いがあったら(犯人によって偽証拠を掴まされたら)、探偵は真実に到達できないのではないかという疑問(いわゆる「後期クイーン問題」)について考え、『ギリシア棺の謎』においては、メタ化の罠に陥ることを巧みに回避していることを論証する。

 第三部《女王の難題 〈後期クイーン問題〉論》では、「後期クイーン問題」をさらに「後期(探偵)クイーン問題」と「後期(作者)クイーン問題」により分け、過去の論争を再点検し、その問題点を指摘していく。

 筆者の飯城氏は、作家の法月綸太郎氏や笠井潔氏らが提起した「後期クイーン問題」に対して、クイーン擁護の立場から、基本的にクイーンの推理はフェアであり、物語は矛盾なく成立していることの証明を試みている。ディープなミステリーファンを対象とした非常に刺激的な内容である。
 なお、「EQFC」はミステリー愛好家が会員であることから、本書はクイーンの国名シリーズ及びその他代表作、ならびにエドガー・アラン・ポー、アガサ・クリスティー、ジョン・ディクスン・カー、S・S・ヴァン・ダインなどの古典的推理小説についての知識を持っていることを前提としている。

※【続きを読む】には、『ギリシア棺の謎』についてのネタバレが含まれています。

隻眼の少女

表紙

麻耶雄嵩『隻眼の少女』(文藝春秋)

■ 繰り返される惨劇 犯人の狙いは・・・?
 昨年、二誌のミステリーランキングで共に4位に輝いた麻耶雄嵩氏の長編推理小説。古くからの信仰が残る山奥の栖苅村で発生した陰惨極まりない連続殺人事件の顛末を綴った本格物である。
 古風な衣装に身を包んだ隻眼の美少女探偵・御陵みかげと、ひょんな事から御陵みかげの助手になった大学生・種田静馬が事件の真相に挑む。

 物語は“ワトソン役”である種田静馬の視点から語られる(一人称視点という意味ではない)。静馬はある事情で栖苅村を訪れていた凡庸な大学生で、推理小説の語り役としては適任だ。静馬が殺人事件の犯人として疑われたとき、彼を救ったのが若き探偵の御陵みかげだった。
 長きにわたって栖苅村を支配してきた旧家の琴折家。宗教儀式を司る琴折比菜子(スガル)と得体の知れない関係者。次々と殺されていくスガルの三つ児の娘たち。恐怖を醸し出す舞台設定には抜かりはない。

 三つ児と聞けば、誰でも真っ先に「人物入れ替えトリック」を想起するだろう。しかしそんな手垢の付いたトリックを手練手管に長けた麻耶氏が使うはずがない。ミステリー慣れした読者の予想を先回りしてひとつひとつ潰していく用意周到さが伺える。ラストの意外な急展開はファンの期待を裏切らないと思う。

 本作は「一九八五年・冬」と「二〇〇三年・冬」の二部構成になっていて、第一部で解決したはずの事件が、18年後の第二部に入り同じような状況下で繰り返される。読者に既視感と不安感をもたらす心憎い構造になっている。
 読書中は、筆者の代表作である『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』を意識していた。不条理な事柄を残したままストーリーを閉じる手法をここでも使っているのではないかと警戒したのだ(尤も心の奥底では、『夏と冬の奏鳴曲』で受けた衝撃を再び味わいたいと思っていたのだが)。事件の謎がすべて解明されるか否かは、実際に一読して確かめて欲しいところである。

 『隻眼の少女』の弱点をあえて言うと、御陵みかげの造形や種明かしの部分に若干漫画チックな要素があるという点か。ここは本格物と割り切って、筆者の高度な企みを許容したい。

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メイスン&ディクスン

表紙表紙

トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン(上)』(新潮社)
トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン(下)』(新潮社)

■ ピンチョン畢生の大作が、柴田元幸訳で登場
 日本人にはあまり知られていないことだが、「メイスン・ディクスン線」とはアメリカの北部と南部を隔てる北緯39度43分に引かれた境界線のことである。独立戦争より少し前、ペンシルベニア植民地とメリーランド植民地の間で領有権争いが発生し、問題解決のために両者の間に一直線の境界線(測帯)が引かれた。この任務を遂行した人物が、本書の主人公である天文学者のメイスンと測量士のディクスンである。

 その後メイスン・ディクスン線は、奴隷制を認めない北部と奴隷制を容認する南部とを分ける境界線となり、そのまま南北戦争を象徴する舞台となった。アメリカで教育を受けた人なら、誰でも知っている歴史的事実である。
 アメリカ史において重要な意味を持つメイスン・ディクスン線をテーマにして、アメリカ文学の巨匠であるピンチョンは、一大叙事詩を書き上げた。それが本書『メイスン&ディクスン』である。後世に伝わる世界的な文芸作品であることは間違いない。

 知っている限りのありとあらゆる知識を文章の中に詰め込み、百科事典的な物量で読者を圧倒するピンチョン氏。本書でもその作風は健在である。柴田元幸氏は10年を費やして、この大著を初めて日本語に翻訳した。
 なにしろ原文がメイスンの手記を参考にした、18世紀の古い文体で書かれている。訳文もそれに対応し、漢字やルビを多用した独特な擬古文となった。

 メイスンとディクスンの名コンビが、行く先々で騒動を引き起こすドタバタ劇は、なかなか刺激的で面白かった。史実と空想がごった煮にされた、脱線に次ぐ脱線の珍道記は、ピンチョン版『東海道中膝栗毛』といえる。
 訳文も読みやすい部類に入ると思う。が、あくまでもピンチョンの他の翻訳本(『V.』や『重力の虹』)と比較した場合の話である。擬古文ということもあり、ライト層が読みこなせるかどうかは分からない。
 ページをパラパラとめくってみて、自分の趣味に合うか確かめてみるといいだろう。内容云々より、むしろ完訳されたことを称えるべきか。英米文学に強い関心があるという条件付きで、推薦したい一冊。

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フラットランド

表紙

エドウィン・アボット・アボット『フラットランド』(日経BP社)

■ ユークリッド平面の2次元世界に住む奇妙な人々
 本書は1884年に発表された空想小説の古典『フラットランド』に、数学者のイアン・スチュアートが詳細な注釈を付けたものである。英国の教育者であったアボットが執筆した『フラットランド』は、これまで1977年と1992年の2回、翻訳書が刊行されていたが、長らく絶版になっていた。知る人ぞ知る名著を、こうして新訳で読めるのはとても嬉しい。

 『フラットランド』のアイデアは、科学者やSF作家を大いに刺激するらしく、本書を引用した科学読本や、本書から着想を得たSF小説は数多い。イアン・スチュアート著の『2次元より平らな世界』は、『フラットランド』をベースにした続編的小説である。

 スチュアート氏の注釈は、科学的な見地から『フラットランド』を補完する役割を持っている。膨大な注釈は本文を大きく超えた分量を誇り、本書のいわば「主役」となっている。これは本文付きの解説書と言っていいだろう。注釈の多さから、ミニマム的考察をモチーフとしたニコルソン・ベイカーの小説『中二階』を思い出した。

 物語の主役であるスクエア氏が住む世界は、厚みのない2次元の平面世界である。そこでは我々が住む3次元世界とは大きくかけ離れた奇妙な日常生活が営まれている。そこに神の如く登場する3次元世界の住人スフィア氏。スクエア氏には突然目の前に現れたスフィア氏のことをうまく認識できない。

 私たちは狼狽するスクエア氏のことを見て笑うかもしれない。しかし、3次元世界に住む私たちは、一つ上の4次元の世界を完全に理解することができるだろうか? アボットが創造したこの物語は、自分たちが住む世界よりも高次元の世界を理解することの難しさを教えてくれる。『フラットランド』は次元を知る上で非常に優れた入門書であるのだ。秀逸なアイデアを生かすため「絵本仕立て」にするともっと多くの人に読んでもらえるのではないか、そんなことを考えながら読み耽った。

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udontaro

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ども、ブログ管理人のうどん太郎です。
主にレトロゲームのレビューと関連ゲーム動画の紹介をしています。

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